ひらめき美容師®️

ひらめき美容師

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ひらめきは磨かれた

ひらめきは目覚め切らない頭がボーとしている時に浮かぶので、すぐにメモらないと忘れる。サロンワーク中お客さんとの会話で急にアイデアが浮かんだりするとすぐメモるようにしている。ウォーキング中もひらめくことがあり身の回りはメモ(ほぼゴミ)だらけ。老年になってからひらめきに磨きがかかり2018年〜特許3件取得ができました。

一人遊びが原点?

幼少から物覚えの悪い消極的な子供でしたが、泥団子を固めテカテカに磨いて遊んだり、城沼の水底(砂地からの湧き水や水草中の淡水魚)を何時間も観察したり、小学5〜6年の頃は、親からくすねた顕微鏡で花粉の観察や手作り望遠鏡で天体観察にハマる。中2の頃は、Uコン飛行機(小型エンジン付き飛行機をワイヤーで結び操縦する)にもかなりハマった。以上のようにいつも一人遊びが好きで、嫌いな勉強や運動は一切やらなかった。中3の頃は自作のラジオ、オーディオアンプ製作にハマったが大体が壊しました。

ギターのプロを目指す

高1の時はクラッシックギターにハマり同級生と市内のギター教室に習いに行きました。1年後才能あると先生に言われ特待生扱いで1日10時間練習にくれました。2年ほどで才能なしと悟りプロは断念、愛用のギターも処分しました。

サッカー部活

スポーツは子供時代から苦手でしたが、魔がさして高1の時に初のスポーツ入部。1年後に新入部員の実力に圧倒され退部しました。向かないことはやらないと決心しました。

好きな仕事だけやる

社会人になってからはラジオ、テープレコーダーなどの弱電関連、精密機器関連など好きな仕事しかやらなかった。仕事でのアイデアが浮かぶと提案などしていたが大概ボツ。当時日本は戦後始まって以来の好景気に沸き、どの会社も国内外への製品の製造が追いつかない状態が続き、大金持ちと中産階級で日本中が活気付いていた。

脱サラ美容師へ

好待遇で好きな仕事である会社を辞め、親の反対押し切り美容学校、有名美容室へと入社。当時は社会人上がりは珍しく大いに期待されていました。しかしスタイリスト止まりの凡人美容師で師匠からは芽の出ない男だったと言われた。それでもカット・パーマコンクールなどそこそこの実績は残せた。

ストレートパーマ開発会議

スタイリストデビュー当時、先輩技術者達とストレートパーマの開発ミーテングでコールドパーマ液に小麦粉を混ぜると(小麦粉のグルテンで粘りが出る)くせ毛が伸びると技術者の一人に教えてもらった。更にその混合液(薬事法では認められていない)をダンポールの板に貼り付けドライヤーで乾かすともっとくせ毛が伸びるとひらめき実践したが全て自分かは定かでない。他店でも試行錯誤の開発は続きストーレートアイロン使用の加熱式の実用的な縮毛矯正が薬事法で認可されたのは15年後。

クビ覚悟のロンドンカット研修

最先端のカット技術を学びたく、クビ覚悟でロンドンでのカット研修を願い出た。結果は欠勤扱いで許可された。帰国後最新のヘアスタイル自信満々で、指名のお客さんに試したが大不評で落ち込んだ。店長からは外人と日本人は素材が違うんだろうねと慰められ一層落ち込んだ。

カット技術を極めたく講師の資格を取得

有名美容室を退社後、カット技術を徹底的に極めたく都内「カットスクール講師」の資格(約1年と高額授業料を費やす)を取得。一度に3〜4名を受け持ち、生徒がカットモデルでミスしても直してあげ、また生徒が落ち込まないように励ますのも仕事だった。

カットコンクールに何度も挑戦した

同期のN.O(何度も優勝の実力者)に誘われて10回以上は、カットコンクールに挑戦した。1回だけモデルに恵まれて入賞できたのもN.Oのおかげであった。

有名美容室の技術セミナーのハシゴする

ほぼ週1回のペースで、他店有名美容室主催のカット講習会の受講からヘアショー見学を数年間続けた(かなりの授業料を使った)。主催するデーラーの担当者からお宅はどこの会場でも見かけるねと言われるほどハシゴした。講師をしたり生徒になったり忙しかった。

ひらめきは地元親元美容室から始まる

髪型撮影からスタジオ記念撮影をひらめく

海外版ヘアカタログ写真に感動し、1985年に市内のカメラ店で中古の中判カメラを購入、最初はシャッターも分からない状態から独学で腕を磨きモノクロの髪型写真撮影に没頭。その後ひらめきで1989年の七五三・成人式スタジオ撮影にと繋がります。デジタル写真の現在では多くの美容室で取り入れていますが、フイルム時代では困難を極めました。又、地元の写真館から警戒されたり2足のわらじかと揶揄されもしました。しかし3年後には群馬フジカラーからも視察に訪れほど腕をあげ、正式に写真スタジオと認可され看板を設置して頂いた。ただし撮影にこだわり過ぎて赤字続きで9年ほどで閉館となりました。

ビジュアルの経験が原点

親元のサロンなので好きなことが自由にでき、髪型の記録撮影とスタジオ制作〜記念撮影の二つの経験が、30年後の無影灯照明&見える化環境、Nカット、理美容用具開発に向かわせた。

ヴィンセンス創業からのストーリー

1995年ヴィンセンス創業当時、店内はすっきり広々していたが数年後にはマニアック的サロンに変貌の始まり。その頃に発売間もないMacを購入、2003年ウェアラブルカメラを自前で構築し業界初の見える化と画像カルテ(初期はフロッピーディスクに記録)として利用していた。紹介のお客様が多く1日10時間以上ほぼ休みなしで働き売上もかなり伸びました。

拡大路線をやめる

数年後売上アップだけの業務にやりがいをなくし、美容師デビュー当時から心の奥底に引っ掛かっていた難髪対応のカット技術追求を始めると決心した。その翌日からくせ毛など難髪のお客様(後々のサポーター会員)に絞り、客数売上減少など度外視でくせ毛など難髪最適化した石倉カット研究に20年を費やし残りの美容人生をかけることにしました。

ひらめきが冴える

私、石倉は老年に入ってからひらめきがより冴えている。2014年に業界初の無影灯照明 STAR ESPACE®︎を完成。2021年には、理美容はさみとパーマロットで特許取得。現在も出願中のものを含め複数が頭にある。頭の出来は相変わらず良くないですが、成功を目指すのみ

 

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